自分でしかわからない世界

以前ツボについて書いた事と関連している事です。


ボクが最も尊敬している施術家がこんな事を言っていました。


「治療家とか施術家っていうのは自分でしかわからない世界がある。皆が皆同じ事をやればいいって事ではない」


ある先生がテクニックを別の人に教えたとします。しかしいくら見よう見真似でやってもそれが上手くいくかは別問題です。

そのテクニックの理論を理解し、先生と身体に対する考え方が似ていれば練習なんてしなくても直ぐに同じような結果が出せるかもしれません。しかし、ボクも何度も経験したのですが、テクニックの理論や身体に対する考え方をあまり理解できずにただ小手先だけ真似しても思っていた結果は出にくいと思います。


たまに人から身体の相談を受けた時に「整体行ったら治りますか?」とか「ハリ打てば治りますか?」


と聞かれますが先生によってやり方とか考え方が違うからなんとも言えない。と答えています。


そうすると「同じような学校出ても皆同じってわけではないんですね」と言われることがあります。


その通りです。身体というのは非常に難しくて学校の教科書に書いてある治療法をやったからといって治るとは限らない、というか治らないのが現状です。車やバイクの修理とは違うのです。同じような症状でもその人によって原因も違うのです。だから研究し続けるのです。


なので先生によって考え方も違いますしテクニックも違います。ある先生はAのテクニックはできるけどBのテクニックはいくら練習してもできない、別の先生はBのテクニックはできるけどAはどれだけ真似してもできない。という事なんて往々にしてあります。


その場の閃きで新しいテクニックをぶっつけ本番で試して魔法みたいに良くなる事もありますし、どれだけ練習してもできないテクニックもあります。


凄い先生の技術を盗もうとしてもその先生の身体に対する理論や感性が理解でき、考え方が自分に合っていれば盗めるかもしれませんが、ただ技だけ盗んでやろうと思っても盗めない事が多いでしょう。しっくりこない感じがすると思います。そういう経験がある先生は多いと思います。(ボクもたくさんある)


頑張ってるのに伸び悩んでる先生は「自分にはセンスがないんだ」と嘆く人がいるかもしれませんがそれは単純に自分に合ってないだけです。自分に合ったものを見つければメキメキテクニックを身につけていけると思います。なので今流行りのこのテクニックが絶対良いとは一概に言えません。


考え方や感性が自分に合わなければテクニックも自分には合いません。


という事を最近常々思います。


どんな施術をするかとかではなく、あえて今日は深い話をさせていただきました。


ツボを丸覚えしたって意味がない

このタイトルは多くの人に伝えたい事です。


ある有名なカイロプラクティックの先生がこんな事を言っていました。僕が非常に感銘を受けた言葉です。


「足裏のツボを覚えてそこだけやったってダメなんですよ。身体を全部調べあげて東洋医学なども全部勉強した方がココだと思ってやったら変わると思います。でも普通の人が例えば頭痛持ちの人に足裏の頭のツボを押さえたってそれは変わらないですよ。魔法のボタンのように変わるかって言ったら変わらないですよ。そこだけ丸覚えして鵜呑みにしたってダメなんです。」


だいたいこんな言葉でした。

こうも言っていました。


「自分の施術を言葉で説明できないと結果は出ないと思うんです。」


まさにその通りだと思います。足裏マッサージをやっているセラピストのほとんどが何故そこが臓器と関係してるかは説明できないと思います。ただツボを丸覚えしても説明できなければ結果は出ないでしょう。全身調べないと身体は絶対にわかりません。


足裏を受けて本当に臓器が良くなったでしょうか?ほとんどの人はなってないと思います。何となく血行がよくなってその日は良く眠れたとかその程度でしょう。ツボだからと言ってそれを鵜呑みにしてはいけません。


考えてみてください。なぜ一流の治療家は日々身体を研究し、新たな技を編み出し続けているのか…

もし足ツボや手のツボで全身変わるのであれば新たな技を編み出す必要がありません。それでは何の改善もしないとわかっているから身体の研究、技の開発を続けるのです。


一流の治療家が編み出した素晴らしい施術テクニックの裏側にはしっかりとした理論が備わっています。


僕の元同僚で東洋医学を勉強してきた鍼灸師

の先生ですらこんな事を言っていました。


「解剖学とか見えるものがわかってないのに、見えないものがわかるわけないです。」


つまり言ってる事は同じでツボだけ丸覚えして押したって意味がないという事です。


傲慢な患者

治療家になりたての頃、傲慢な患者の多さにビックリしました。先輩の先生は患者さんには下手に出ろと言っていました。

昔の事はよく知りませんが多くの治療院では患者の立場が強くなって先生の立場が弱くなっているように感じます。


これは教育の場でも聞きますね。僕は昭和を生きていないのでわかりませんが、昔は学校の先生に怒られたら親は子どもを怒ってくれた事に感謝したと聞きます。

しかし、最近は傲慢な親が増えて、いわゆるモンペ(笑)が増えてなかなか教育の場で怒れなくなったと聞きます。


治療現場にもそういう傲慢な人が大量にいます。患者は英語でペイシェントだからどちらにしろ教育現場でも治療現場でもモンペになっちゃいますね。ここからは傲慢な患者の事をモンペと略します。


僕の臨床上、モンペ(笑)は本当に身体が悪いです。感情論抜きにして他の先生方にも聞いてデータを取りたいくらいです。人の好き嫌いが激しい人ほど身体がボロボロでした。気にいった人の前ではそれほど嫌な人にみえないのですが、気にいらない人に対してはとことん嫌な人になり平気で人を貶します。はっきり言って先生方からは嫌な患者として思われているでしょう。

身体がボロボロなのは偶然でしょうか?それとも何かあるのでしょうか?


先生の事を先生と思わずとにかく強く揉んでくれだの、ここをもう少し揉んでくれだの好き勝手言います。僕はそういった患者は見捨てますが…

心が歪んでいるのに身体の歪みは取れないというのが僕の考えです。仮に体操を教えたとしても素直さがないから聞く耳を持たないでしょう。


仮に本当は凄く良い先生に出会っていても先生の事を信用していなければ身体は変わらないでしょう。

モンペ(笑)にとっての良い先生とは風格があって何でも聞いてくれて優しくしてくれて我儘も聞いてくれる先生が良い先生なのでしょう。

それからモンペ(笑)は見た目で人を判断します。私事ですが僕は童顔です。これは先生としては結構致命的かもわかりません。20代で童顔で風格がないからモンペ(笑)はまず僕の事を信用しません。いきなり強めのタメ口でくる事もあります。こちらの事を先生として信用していないのでこちらも見捨てます。施術は行いません。

しかし、モンペ(笑)にとっての良い先生だって本当は内心嫌がっています。はっきり言って仕事だから親切にしているだけです。知り合いの女性の先生は患者さんには誰に対しても凄く親切で患者さんに好かれる先生でしたがやはりモンペ(笑)の事は内心嫌がっていました。先生だって人間なのでストレスもたまります。まぁ、僕の場合は見捨てるので関係ありませんが…


一方、素直な患者さんはこんな僕の事を凄く信用してくれたりします。体操を教えてもしっかりとやるのでどんどん身体が変わります。


素直な気持ちでいるから身体も素直に変わっていくのです。



病気について

病気は大人でも子どもでもなります。

しかし回復力が大人と子どもでは異なります。お年寄りは年中病院通いしていたりしてなかなか治りませんが子どもは放っておいても勝手に回復していく事が多々あります。


回復力をつけるにはどうすればいいのでしょうか?

簡単に言うと、背骨・骨盤の弾力をつけていく事です。そこに基本的な身体の回復力の有る無しが隠されています。


僕が以前臨床で診た印象的な患者さんの話をします。

その方は75歳の女性でした。お年寄りに分類されるでしょう。しかしその方はそれまでに診てきたお年寄りの中でも群を抜いて身体に弾力がありしっかりとしていました。非常に丈夫で健康的でとても若く見え保険証を見せてもらった時に後期高齢者となっていたのでビックリした記憶があります。

しかもどのお年寄りよりも見た目も綺麗でした。今もお年寄りと書いていて違和感があります。それくらい若々しいのです。


少し手首が痛いとの事で来院していたのですが、それ以外の身体の悩みはほとんど無さそうでした。病気とは無縁といった感じです。


一方、多くのお年寄りはどうでしょうか?ほとんどの人はその方のように骨盤・背骨に弾力がありません。だから病気になっても回復力がないのでなかなか治らないのです。歩くのもたどたどしいのです。


いくら栄養に気を使っていてもこの弾力が変化しなければ身体は良くなりません。それほど偏った食生活をしているわけでもないお年寄りがなぜ病気になってなかなか回復しないのでしょうか?一方、あまり食に気を使わない若者でもなぜか元気で回復力がある人が多いのはなぜでしょうか?なんでもかんでも栄養で解決しようとする人がいますが背骨・骨盤の弾力という概念がなければ一向に解決しないと思います。(もちろん偏った食事で身体を壊している人も中にはいますが)


背骨・骨盤の弾力が無くなっていくと歩くのが困難になっていきます。なぜなら人間は歩くときは背骨・骨盤を連動させて歩いているのです。ここが硬直すると足をスイスイと出す事が出来ません。まさにお年寄りの典型ですね。

最近、歩くロボットが開発されていますがロボットには人間のように背骨や骨盤を連動させて歩くという概念がありません。健康的な人間のように歩かせるのはかなり難しいと思います。


ちなみに上に書いた75歳の女性は歩くのも非常にスイスイと歩いてました。


あくまで最終的に

先日、「最終的に骨盤・背骨の弾力を作ることを目指さなければいけない」と書きました。ここで大切なのは「最終的に」という部分です。

しかしながら骨盤・背骨の弾力を作るなら骨盤矯正や胸椎・頚椎矯正を受けにいけばいいと言うのは安易な考えです。あくまで「最終的に」骨盤・背骨の弾力を取り戻していくのです。でなければ一時的な改善で終わってしまうことが多いです。


ちなみに巷に溢れている骨盤矯正とはいったい何なのでしょうか?頚椎や胸椎の関節の直接的な矯正法はあまりどこの治療院でも変わらないと思います。しかし、骨盤矯正を売りにしている処は多いと思いますが先生によってやり方が全然違います。

それはなぜでしょうか…?それは骨盤自体には大きく動く関節がないからです。(女性は少し動きますが)

骨盤の上には腰椎が、下には大腿骨があります。つまり腰椎と股関節の間に骨盤があり、これらで骨盤を動かしているのです。

腰椎や股関節の捻れが骨盤の捻れを生むのです。


骨盤矯正でメジャーなのがトムソンベッドというものでガタンガタン!と矯正していくものですね。あれは骨盤自体の矯正というよりも腰椎下部、もしくは骨盤と腰椎の関節である腰仙関節を矯正しているのだと思います。


巷に溢れている骨盤矯正は腰椎下部にアプローチしているものが多いと思います。


話を元に戻します。

背骨・骨盤の弾力はあくまで最終的に取り戻さなければいけませんが、そういった施術を受けなければいけないのか??と聞かれれば受ける必要はないと思います。僕自身、そういった施術はあまり行いません。





結局のところ

身体に関する本は山ほど出ている。

施術テクニックもたくさん編み出されている。どんな健康法でもテクニックでもいいのだが結局のところ身体はどうなればいいのだろうか?


その答えは「動きをつくる」ことにある。

数々の施術所・テクニック、数々の運動法・健康法があるが結局のところ人間は「動きをつくる」ことを考えなければいけない。


動きをつくると言っても単に運動すればいいとか単にたくさん歩けばいいと思うのは間違いである。

動きをつくるとは骨盤、背骨の弾力をつくる事である。

背骨の弾力のある無しはどうやってわかるか…?それはまず身体を大きく反らす事ができるか、また左右に大きく捻ることができるかという事に集約される。


良い身体とは骨盤、背骨に弾力がある身体の事であり、良くない身体とは骨盤、背骨に弾力がない身体である。


いくら筋肉を鍛えたりたくさん歩いたとしてもこれらの弾力を取り戻さなければダメなのだ。だから健康の為に運動を始めたら逆に膝が痛くなった人が大勢いるのだ。足がむくむからオイルマッサージをしてむくみが取れるけどまたすぐにむくむと言う人が大勢いるのだ。


僕はあまり他の健康法やテクニックを否定したくはない。したくはないんだけどその健康法やテクニックは最終的にどこを目指してるかを考えた方がいい。

むくみが取れるのをゴールとするのはいけない。骨盤背骨の弾力を取り戻す事をゴールとしなければならないのだ。

そういった考えがないからその場かぎりの改善で終わってしまうのだ。


いずれ僕のおすすめの身体のメンテナンス法を紹介したいが、別に健康法やテクニックは何でもいいのだ。他のやり方を否定するつもりはない。ただし、最終的に骨盤背骨の弾力を取り戻すという考え方を持ってほしい。

いかなる健康法やテクニックでも人間だから合う合わないはあるかもしれない。けれどもこの考え方はしっかりと伝えたい。


身体の症状は上げ出すとキリがない。どこどこが痛む、どこどこが痺れる、どこどこがむくむ、スタイルが崩れてきた…悩みはつきない。

ひとつひとつをどう改善するかよりも、「動きをつくる」事を原点として考えてみればどうだろうか?

子供は非常に骨盤背骨に弾力がある。お年寄りはほとんど弾力がない。どちらが身体の悩みが多いかは考えるまでもない。

身体に弾力が戻ってくればおのずと身体の悩みは消えていくはずである。

身体をあまり難しく考えず、あえて単純に考えてみよう。


困ったときほど原点に。


このブログについて

28歳で柔道整復師の資格を持っている僕がこれまでに追究してきた身体論を書いていきます。

テレビや本で紹介してあった健康法を試してもイマイチ効果が実感できないという人も多くいると思いますので身体の事をできるだけ詳しく、そしてわかりやすく説明できたらと思います。